谷崎潤一郎


七絃の滝のしらべを友として 八十路の媼こゑもさやけし

七絃の滝のほとりに年をへて おうなの白髪いよよ長かれ

(妙雲寺境内・一首目の歌はホテルニュー塩原駐車場にもある)




滝の姿が滝の弦のように見えるところから名がついた七絃の滝。その滝の畔に住んでいた媼と谷崎潤一郎の温かな触合いが込められた歌である。谷崎は大正十年(三十六歳)に約
1ヶ月間、門前の宮本ウメ宅の二階に逗留していた。その後、昭和三十二年(七十二歳)八月、幼少からの親友で、東京の最古の中国料理店主である笹沼源之助の別荘(塩釜に現存)を松本夫人らと訪ねた。この折、宮本家を訪れ、三十六年ぶりに再開したウメ女に旧恩を謝し、ウメさんの長寿と再開を祝し冒頭の歌を詠んだという。昭和三十二年といえば五月に門前の大火があった年であるが、幸い宮本家は類焼をまぬがれていた。

建碑は昭和五十九年春、ウメ女の令孫、宮本善夫(元西那須野町長)氏である。

笹沼源之助は、谷崎が無名の頃から物心両面の援助をし、谷崎も「今の自分があるのは彼のおかげである」ということを書いている。谷崎は数回塩原を訪れ、笹沼別荘では次のような句も詠んでいる。


朝な朝な 虫を掃き出す 山家かな


谷崎潤一郎は、明治十九年生まれ、自然主義文学全盛時代に耽美的な官能的な小説を相次いで発表し、反自然主義文学の華やかな担い手として一躍文壇の花形となった。代表作として「痴人の愛」「卍」「細雪」「春琴抄」「鍵」などがある。昭和二十四年には文化勲章を授与している。

昭和四十年惜しまれつつ八十歳で亡くなっている。