国木田独歩


那須停車場より車にて塩原に向かひぬ 塩原は古町会津屋なり
吾等二人手を携へて源三位洞窟の茶屋を訪ひ それよりなほ渓流をさかのぼりて  橋を渡り寂しき谷に至りて止む 秋晴幽谷 夕陽満山 人影絶寞 この時  この境に愛恋の二人相携へて 朝の歓喜を胸にたたみつつ歩む 何の不足する処ぞ  一生のパラダイスなり



上会津屋の玄関前に国木田独歩の 「欺かざるの記」の文学碑がある。 独歩は、明治二十八年九月佐々城信子(日本橋の佐々城病院長佐々城本支・豊寿夫妻の長女) との恋愛逃避行で塩原に来ている。反対して後を追って来た父本支を涙ながらに説得し 、結婚を許された時の喜びにあふれた場面が冒頭の碑文である。

独歩は明治二十六年から同三十年まで日記をしたためていたが、 これが独歩の死後、刊行された「欺かれるの記」 である「事実・思想・感情」の副題がついた 体験告白の書であり日々の記録の中に社会観、人生観、その他の随想が加えられている。 近代日記文学として高く評価されているものである。