新湯の勝(「塩渓紀勝」)

「新湯は古坊の西南 殆んど二里許りに在りと聞く。道三条となる 一は塩の湯より 一は古坊より 一は上塩原よりなり。
小橋を渡り清泉を聴く。左に二沼あり 大沼 小沼という。
少しく北にまた赤沼あり東に黒獄を望む 麓に また菱沼あり。右に富士山をめぐらす。路 ようやく平坦  忽ち硫煙の鼻をうつを覚ゆ。一山郵にいたる。是を湯元塩原 新湯という。
温泉は四あり 曰く上の湯 曰く中の湯 曰く寺の湯 曰くむじなの湯 而して 上、中の湯は  硫黄山を背とす 山麓に小孔あり窖の如し。硫気熱騰す。」



この文学碑は、奥蘭田の著書「塩渓紀勝」 の抜粋が刻まれたものである。蘭田は明治二十一年塩原の畑下り に別荘を作って滞在し、塩原の名勝、風俗、伝説、温泉等を書き留めた。 それを四巻十八景にまとめ「塩渓紀勝」として出版した。 これによって塩原は全国的に知れ渡り、多くの人々が訪れるようになった。 このことから、蘭田は尾崎紅葉、三島通庸と共に塩原三恩人の一人として深く 敬愛されている。