![]() |
![]() |
とうとうと喇叭を吹けば 塩はらの 深染の山に馬車入りけり
(妙雲寺境内) しほ原の湯の出でどころ とめ来れば もみぢの赤き処なりけり (源三窟下 レスト日塩の庭) |
斎藤茂吉は、明治四十一年十月十六・七・八日、 東京帝大医科の同級生と塩原に来ている。この歌は、その時の連作中の二首であり、 濃い紅葉の山中に乗合馬車(まだバスはなかった)で乗り入れた時の感動を詠んだものである。 |
塩原でのうたは明治四十二年「塩原ゆき」 五十首として『アララギ』に発表され、その後、大正二年に四十四首に整理されたものが 「塩原行」として『赤光』(茂吉の第一歌集)の中に発表された。 |
茂吉が作歌を志したのは、二十四歳の時に正岡子規の遺稿、 「竹の里歌」を詠んでからである。それまで「和歌はむずかしいものだと思ってゐた」茂吉は、 日常生活に即した自由な詠みぶりに心をひかれ感銘を受けたのである。そのせいか、 初期における茂吉は形式にとらわれない写実的な作風を心がけ、次々とうたを発表した。 その成果の一つが「塩原行」であるといわれている。 |