与謝野寛・昌子



せせらぎの湯宿 満寿家前庭)




今日遊ぶ高き渓間の路尽きず
山のあらはる空のあらはる
                        寛   

真夜中の塩原山の冷たさを  
仮にわが知る洞門の道   
                               昌子   
     


この二人の歌碑は「おしどり歌碑」として建っている。  
「寛」は与謝野鉄幹の本名。歌の意味は「塩原の険しい山と山との間、深 い渓を巡って幾曲がりしても道は尽きることがなく、道を曲がるとまた山が現れ空が高く見えてくる」ということであろう。また「道尽きず」を、歌の道
文学の道も尽きることがないという意味を込めて読んでみると、また違った趣を味わうことができる。昌子の歌にある「洞門」とは、三島通庸が明治17年に塩原道を開いた時に掘ったトンネル、白雲洞のことである  
                                  

(昭和38年に取り壊された)
奥深い塩原の山道で美しく薄暗い洞門に入った時の神秘的な冷気を 詠んだものであろう。

鉄幹と昌子夫妻は2度塩原を訪れている明治43年10月と昭和9年5月である。

塩原での歌は鉄幹41首、昌子59首で雑誌「冬柏」(第5巻・第6号)に収められている。