血ヶ淵ノ大蛇


むかしむかしのお話です。
塩原の里には福渡に内蔵之丞というお百姓がくらしておりました。
その内蔵之丞の家には、先祖代代より受け継がれたすばらしい名刀が有りました。
京の都の有名な刀鍛治 ”宗近” の作と伝えられていました。
 

あるとき、その刀がほしくてほしくてたまらない者がいました。
塩原の谷間は布滝の淵に棲む大蛇でした。
どうにかして宗近の刀を手に入れたい大蛇は、ある晩のこと、美しい娘に化けて内蔵之丞の家を尋ねました。

「もし、内蔵之丞さん。私に宗近の刀を譲ってはくれませんか?」

こんな寂しい山奥に美しい娘が夜中に尋ねてくるのはどうもおかしい・・。きっと、魔物か何かのしわざに違いない。
そう察した内蔵之丞は答えました。

「この刀は先祖より受け継いだ家宝、譲るわけにはいきませぬ。」

大蛇の力を持ってすれば内蔵之丞の命を奪うこともたやすいことでしたが、宗近刀の威力が恐ろしくてうかつには手出しできませんでした。

 

ある日のこと、内蔵之丞が淵のそばを通りかかると、岩の上にあの美しい娘が立っていました。

「もし、内蔵之丞さん。どうしても刀を譲ってはくれませんか?」
「決して譲るわけにはいきませぬ。」

内蔵之丞は再び断りました。
すると、不思議なことに娘は淵の中から一つの ”おわん” を取り出して淵のほとりの ”釜岩” の上において言いました。

「よいか内蔵之丞よ。我はこの淵の主の大蛇である。おまえにこれをやろう。ほしい物を紙に書いてこの淵に投げ入れれば、次の日には望みの物をかなえてやるぞ。」

と、言うと淵の中に スーッと消えてしまいました。
不思議なことに内蔵之丞が紙に ”米” と書いて淵に投げ入れ ”おわん” を置いておくと、次の日には中は米でいっぱいになっていました。
”塩” ”豆” ”あずき”・・・・・・
どれを書いても次の日に ”おわん” の中はいっぱいになっていました。

 

このようなことがしばらく続いたある晩のこと、また内蔵之丞の家にあの娘が訪ねてきました。

「どうしても宗近の刀をゆずってはくれまいか?」

さすがの内蔵之丞も大蛇に ”おわん” の恩義を感じていたため、とうとう刀を譲ることにしました。

「でわ明日、刀を差し上げましょう。」

翌日、内蔵之丞は宗近の刀をたずさえて淵にいくと、岩の上の娘にむかって言いました。

「さぁ、うけとりなされ!」

そして、刀を腰からはずすと娘に向かってなげました。
と、そのときです。

「あっ!」
「ギャァーーー!!!」

すさまじい叫び声が塩原の谷間に響き渡りました。
なっ、なんとっ、刀の切っ先があやまって娘の額に突き刺さってしまったのです。
娘は苦しみもだえながら真っさかさまに淵の底に沈んでいきました。
その日から、この淵は七日七晩真っ赤な血に染まったということです。

 

何日かたったある晩のこと、再び娘が内蔵之丞の家を訪ねてきました。
顔は青白く、やせ衰え、杖をつき、息も絶え絶えの様子です。

「内蔵之丞よ。せっかく貰い受けた名刀ではあるが、おかげでこのような哀れな姿になってしまった。今は命さえもあぶないしまつである。この身ではとても刀を持ち通していくことが出来ぬから、これはおまえに返すことにする・・・・・。」

そう言って、刀を残して スーッと消えてしまいました。

 

これより後、内蔵之丞の家には大蛇のたたりでしばらく災難が続きましたが、宗近の刀を富士山(ふじやま)の浅間神社に奉納し、大蛇のたたりを逃れたということです。
それから後、この淵は「血ヶ淵」と呼ばれるようになったということです。

 

「血ヶ淵」とは、現在の「稚児ヶ淵」のことですが、「血ヶ淵」伝説は雲巌寺の「稚児伝説」とは別に伝わっているものです。
この伝説は、福渡の玉乃屋旅館、田代五郎氏の家に伝わるお話で、内蔵之丞は氏の先祖にあたる人といわれています。現在でも福渡温泉神社の境内には氏の先祖が建てた「血ヶ神社」の小さな ”ほこら” がお祭りしてあります。